2005年12月31日

富士の歌

  
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田子の浦にうちいでて見れば白妙の 富士の高嶺に雪はふりつつ
       山部赤人


田子の浦の海辺に出て仰ぎ見る富士山の高嶺に、真っ白な雪がふりつもり、ふりつもり・・・。何と荘厳な眺めであろうか。


百人一首最後の歌は、これになりました。
皆様良いお年を!



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2005年12月29日

百人一首を覚える

今まで九十九首の歌をアップしました。
その中でひとつだけ、好きな歌を覚えると言うのはどうでしょう。
和歌は沢山ありますが、百人一首は長く遊びの中で生きてきました。
それだけに、やはり素敵な歌が多いと思うんですよね。
何となく好き。
詠まれている情景が好き。
心情が自分と重なる。
など、まずひとつ。
お気に入りの歌を覚えませんか。

今年もあと二日。
年賀状は出しましたが、あと何通か、除夜の鐘を聴きながら書こうと思っています。
いつものように淡々と、年越しをするつもりでしたが、
やはり、今までと変わらず、しみじみと、今年を振り返ってみるのも大切かな、と思いなおしました。
区切りという気持ち、ある意味重要かもしれません。

年々、時間の流れが早くなっているように感じます。
一年に一度くらいその年にしたことを思い返し、
迎える年に繋げたいものです。
年を忘れるのではなく、しっかりと記憶に刻もうと思います。




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2005年12月28日

春の雪

君がため春の野にいでて若菜つむ わが衣手に雪はふりつつ
       光孝天皇


早春の野に出て、あなたに贈る若菜を摘んでいる私の衣の袖に雪がしきりに降りかかっているよ。

若菜とはセリやナズナなど食用の若草で、正月初の子の日に摘む慣わしがあったそうです。
思い描いてください。
雪が降りかかる中、大切な人のために若草を摘むなんて、素敵な光景ですよね。


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2005年12月27日

桜 二

いにしへの奈良の都の八重ざくら けふ九重ににほひぬるかな
      伊勢大輔


花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり
      入道前太政大臣


一首目、
はなやかに栄えた奈良の都の八重桜が、今日はこの平安の宮中にいちだんと美しく咲きはいえていることよ。
美しい言葉が心に沁みます。
女流歌人です。
二首目は男性が詠んでいますが、
この歌のどこがいいって、
ふりゆくものは花吹雪ではなく我が身であるという表し方。
なんとも言えません。
これは自分が年をとっていく様を詠んでいるのです。


さて、百人一首も残すところ、あと二首になりました。
明日、あさってと一首ずつアップしますが、
最終日には締めくくりにふさわしい歌を考えています。
予想して下さいね。


吉村昭著




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2005年12月26日

もろともに哀れと思へ山ざくら 花よりほかにしる人もなし
       前大僧正行尊


高砂の尾上のさくらさきにけり とやまのかすみたたずもあらなむ
       前中納言匡房


一首目、
私がそなたをなつかしむように、私をなつかしんでおくれ、山桜よ。そなたの他に友はいないのだ。
と、花に向って語りかけています。
寂しい歌ですね。
ですが、春が来て山桜が咲き、心が温かくなっていく様子も感じられます。
二首目、
高い峰の桜が咲いたよ。山の霞よ立ち込めないでおくれ。
高い峰に咲いた桜を愛で、湧いてくる春霞が隠してしまわないよう願っています。
情景が目に浮かびます。

吉村昭著
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2005年12月25日


ひさ方の光のどけき春の日に しず心なく花のちるらむ
      紀 友則


人はいさ心もしらずふるさとは 花ぞむかしの香ににほいける
      紀 貫之


一首目、
のどかな春の光の中で、なぜ静かな心もなく花は散り急ぐのだろう。

字面を見ているとのどかな中で、はらはらと静かに散る花を想像しますが、
実は花吹雪のように散っている様を読んでいるのですね。
これは桜の花です。

二首目、
住んでいる人の心はわからないが、花だけは昔と変わらず美しく咲き匂っていることだ。

ご存知紀貫之の歌です。
こちらは梅の花。
そう思うと、梅が咲き誇る、昔ののどかな風景を思い浮かべることができますね。
梅もいいものです。








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2005年12月23日

夏の歌 U

かぜそよぐ楢の小川の夕ぐれは みそぎそ夏のしるしなりける
       従二位家隆

こぬ人をまつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の身もこがれつつ
       権中納言定家


風が楢の葉を渡る夕暮は初秋を感じるが、みそぎをしているのがみられるのは未だ夏であるしるしだ。
みそぎというのは川や海で身の穢れを洗い清める、夏の行事。


来てくれない人を待つ夕暮れ。夕凪の海辺で焼く藻塩のように、みも焦がれるほどに思い悩んでいる。


夏の歌二首です。
情景とか心情を表すとき、秋の侘しさ、散る花びらのはかなさなどは、人生にもたとえやすいのでしょう。
暑い夏、歌を詠むのに集中するのは大変だったかもしれませんね。
でも今よりは確実に涼しかったと思いますが。

追記:二首目は好きな歌です。
身を焼くように恋焦がれるって素敵ですね。
はるか忘却の感情。
いや、元々そこまで熱しないからな・・・。



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2005年12月22日

夏の歌

春すぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山
        持統天皇


夏の夜はまだ宵ながらあけぬるを 雲のいづこに月やどるらむ 
        清原深養父



一首目
香具山に衣が干してあるので、もう夏が来たのでしょう。

天の香具山の天とは、神が住むと言われていたからのようです。
神代の時代には、香具山に衣を干していたとされています。
持統天皇は女帝。
藤原京は、奈良盆地の大和三山(香具、耳成、畝傍)にかこまれた 風光明媚な地にありました。
あの辺りの風景が目に浮かびます。

二首目
夏の短い夜は宵と思っている内に明けてしまったが、美しい月は今雲のどの辺りに宿り隠れているのか。

下の句の美しさはどうでしょう!
詠み人は清少納言の曽祖父にあたる人です。

百人一首の中でも数少ない夏の歌でした。








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2005年12月21日

芦の葉

難波江の芦のかりねのひと夜ゆゑ みをつくしてや恋ひわたるべき
        皇嘉門院別当


難波の入り江、芦の刈り根のひと節のように、短い仮寝のひと夜の契り。ゆえに身をつくして恋い続けるのか。

旅のひと夜の契りで相手を請い続けると言うのは、いかにも女性らしい。
良い所だけを見た理想の男性だったのでしょう。
きっと相手は忘れ去ってるに違いありません。
性ですね。

芦の節を詠んだ歌は百人一首の中にもうひとつあります。

難波がたみじかき芦のふしのまも あはでこの世をすごしてよとや

そこで芦というのがどんな植物なのか調べてみました。今はあまり見られないようですね。
水辺に群生していたのでしょうか。雑草のようなものでしょう。
たしかに節は短い。
昔はどこにでも見られたようす。
墨絵、蒔絵、能の装束などに描かれています。
ぴんとはった葉が潔さを感じさせます。



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2005年12月19日

きりぎりすなくや霜夜のさむしろに ころもかたしきひとりかもねむ 
      後京極摂政前太政大臣


こおろぎの鳴く霜夜のさむざむとした筵に、片袖を敷いて独り寝をするわびしさよ。

きりぎりすは現在のこうろぎなのですが、
こうろぎが鳴く頃はまださほど寒くはないような気がします。
場所にもよりますが。
それにしても、この歌は本当に寒く感じるのです。
侘しさが滲み出ています。
でも、好きな一首です。
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2005年12月18日

滝の音はたえて久しくなりぬれど 名こそながれてなほ聞こえけれ
        大納言公任



滝の水は枯れてしまったが、その昔美しい姿を見せていた滝の名前は皆に聞こえ語り伝えられている。

昔の風景が今はすっかり変わってしまって、懐かしむことがあります。
それは昔を知っている人の心の拠り所となっていたりするのでしょうか。
変わりようと嘆きつつ、昔のよき時代を思い起こす。
人の心をも詠んでいるのかも知れません。






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2005年12月16日

逢いたい

いまはただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな
       左京大夫道雅



逢うことをさえぎられて、あきらめようと思っていることを、もう一度だけ逢って直接言うことができる手立てはないものか。

藤原道雅。
皇女との恋愛事件で左遷される。
親から、また周囲から、恋人と会うことを禁じられるという状況。ひと昔前まであったかもしれません。
この歌は身分の問題でしょうか。
してはいけない恋をあきらめ、忘れようとする心。
最後に一度逢いたいと胸を痛める様子がよくわかります。
この歌が実際問題の恋愛だったかどうかはわかりませんが・・・。





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2005年12月15日

御垣守衛士のたく火の夜はもえて ひるは消えつつ物をこそ思へ
       大中臣能宣


あけぬれば暮るるものとはしりながら なほうらめしき朝ぼらけかな
       藤原道信朝臣



一首目。
宮門警備の人が焚くかがり火が夜は燃え、昼は消えているように、思いは夜はもえ焦がれ、昼は消え入るように物思いに悩む。
何故だか昔から好きな歌です。
宵っ張りの私が夜元気になるのに関係があるでしょうか。
二首目。
夜になればまたお会いできるのに、それでも朝になるのが恨めしい。
こんなに思われると相手も本望でしょうねぇ。
詠み人は天才歌人と言われながら二十三歳という若さで亡くなっています。
濃い人生を生きた人かもしれません。




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2005年12月13日

男の涙

思ひわびさても命はあるものを 憂きにたへぬは涙なりけり
        道因法師


嘆けとて月やはものをおもはする かこち顔なるわが涙かな
        西行法師




一首目。
思い悩み、耐えて、命はあるものなのに、こらえきれず涙が流れてしまう。つれない人を思っています。
二首目。
恋に悩む身は月を見ているだけで哀しくて泣けてしまう。

男の人が恋をして涙する姿、歌人だからこそいいのでしょうか。
思い悩むのに男も女もないですよね。
男の人に涙を流させた経験ありますか?



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2005年12月12日

ありま山ゐなの笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
       大弐三位


憂かりける人をはつせの山おろしよ はげしかれとは祈らぬものを
       源俊頼朝臣


一首目はそよそよと吹く風。
二首目は山嵐。
口に出して読んでみると違いがよくわかります。
柔らかさと硬さ。
女性と男性の違いもあるでしょうか。
性格の違いでしょうか。
ずっと二首ずつアップしていますが、
並べてみるとまた面白いものです。



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2005年12月11日

言葉

やすらはで寝なましものをさ夜ふけて かたぶくまでの月をみしかな
        赤染衛門


契りおきしさせもが露を命にて あはれことしの秋もいぬめり
        藤原基戸俊


どちらも、かけられた言葉を信じて待っている胸の内を詠んでいます。
一首目は女性。
来てくれるという言葉を信じて待ち続け西に傾く月を見てしまった。
恋人の言葉を信じて待っているのです。
二首目は男性で、
「自分を頼りにしなさい」とかけられた言葉を信じて待ち続けたが、今年の秋も空しく去って行くようです。と、これは自分を引き立ててくれることをまっているのでしょうか。



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2005年12月10日

遷幸

ひともをし人もうらめしあぢきなく 世をおもふゆゑにもの思ふ身は
       後鳥羽院


ももしきやふるき軒ばのしのぶにも なほあまりある昔なりけり
       順徳院

それぞれ、第八十二代と八十四代の天皇。
順徳院は後鳥羽天皇の第三皇子で、二人で鎌倉幕府討伐に失敗。
前者は隠岐、後者は佐渡に遷幸。
父は、
世を思うがゆえに物思いをする身。人をいとしく、又恨めしく思うのは嘆かわしいことだと、詠み、
息子は、
軒端に生えている忍草に誘われて昔を懐かしむにつけても、栄えていた時代を偲び尽くせはしない、
と詠んでいます。

上に立つ身は、それはそれなりに苦労も多く、何かあれば生活が一変してしまう。
人間何が幸せかわからないものです。



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2005年12月09日

浮き名

うらみ侘びほさぬ袖だにあるものを 恋にくちなむ名こそをしけれ
        相模


春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなくたたむ名こそをしけれ
        周防内侍




どちらも女流歌人。一流の歌人として重用されたようです。
一首目は恋しい人のつめたさを恨み悲しみ、涙で濡れる袖を乾かす暇もないというのに、浮き名のためにすてれていきそうな自分の名が口惜しい。
と、これは好意的でない噂をたてられた口惜しさでしょうか。
二首目は春の夜の夢のような、かりそめの情事のために浮き名を流されたことを後悔しているのでしょう。
噂は一人歩きします。
現代でもありそうなことですね。
ほんの小さなことでも人の口を経るごとに主観が入り、どんどん大きくなっていきます。
これがうまくいっている時なら笑って取り合わずに住みますが、
一首目のように成就しない恋に悩んでいる時は痛手ですね。


アップする百人一首も僅かとなりました。
今年も残り少なくなっています。
イメージの中にある年の瀬をあまり意識しないで、
のんびり焦らないで過ごそうと思います。





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2005年12月08日

人知れず

恋すてふわが名はまだき立ちにけり ひとしれずこそおもひそめしか
        壬生忠見

玉の緒よたえなばたえねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする
        式子内親王



人知れず密かに持つ恋心。
二首目などは、
生きながらえば秘める力が弱まってしまうから、命が絶えてもいいとまで云っています。
趣があるように詠んではいますが、
秘めた情念というのは、ものすごく強いものではなかったかと想像します。
特に女性が恋する期間はものすごく短いと考えられていたと思い、その分濃く深いものだったでしょうね。






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2005年12月07日

関守

よをこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ
        清少納言


淡路島かよふ千鳥のなく声に 幾夜ねざめぬ須磨の関守
        源兼昌


二首とも関を詠んでいます。
昔は国と国の堺に関があり、今でこそ海外にでも気軽に行けますが、その頃はなかなか一般の人は難しかったのかもしれません。
また関を通るということに特別な思いもあったことでしょう。
一首目は
秦の時代、使いに行き捕らえられ逃げ出した孟嘗君が、朝鶏の声で開くことになっている函谷関で、物真似のうまい人に鶏の鳴き真似をさせ、無事通ることができた、という史記の故事をふまえています。
逢坂の関はそんなことでは許されないよと詠んでいます。
二首目は
淡路島から飛んでくる千鳥の声で、須磨の関守は何度目をさましたことであろう、と詠みます。
千鳥の声が、もの悲しいと言っています。
源兼昌は堀河、鳥羽、崇徳の三帝の時代に歌人として活躍した人。
千鳥の声は連れ合いを求める声とされているらしく、
その声を聴く関守の心情を思うのか、自身の胸の内を想うのか・・・。







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posted by strauss at 17:24| Comment(2) | 百人一首 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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